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Channel: 江戸厳愚(えどごんぐ)のぼやき日記
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楽天、えび天、ぼくところてん

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おれは大阪に代表される関西圏の食文化には満腔の敬意(司馬遼からのパクリ)を寄せているが、殊ところてんに関しては賛同はできない。だって黒蜜かけて食べるんだぜ。絶対あり得へんちゅ~のっ!一度大阪旅行の際、なんばウォークにある和菓子屋で買って食べたところ、

いっそ一思いに殺して……。

〇_| ̄|_

それまでの大阪LOVEが音をたてて崩れかねないほどの味わいであった。もっとも大阪の人間に言わせれば、

「あんな三杯酢をまぜたたれで食べるなんざ、人間の食うもんちゃうわ!」

とのこと。しかし生憎おれは大阪出身の知人が納豆や三杯酢だれのところてんをうまそうに食っていたのを度々目撃しているので、こればかりは大阪人の偏見と断じざるを得ない。いずれにせよ、やはりむせ返るような酸っぱさと共に食すところてんこそが夏の風物詩というものではないか。

小学校四~六年生まで熱海に住んでいた頃、宿泊訓練で初島に一泊し翌日テングサを自分たちで煮詰めて作ったところてんをそれこそうんざりするほど食べまくった記憶がある.限度というものを考えないおれもおれだが、あの時のところてんはうまかった。考えてみるとところてんといえば、おれの記憶に残っているのは熱海での二年間だ。

堤防が間近にある海沿いの公園で弟を連れて遊びに行ったりしたことを思い出す。まあ大概は、おれ一人でののんびりとしたものだったが。そんな一人ぼっちのおれを見兼ねたかのように、一人のおじさんが話しかけてくれた。歳の頃は三十過ぎだったと思う。眼鏡をかけた穏やかな雰囲気を漂わせていた人だった。自分は今水商売をしていて、おかげで手がこんなに荒れているんだよと両手を広げてみせたり、ベンチに腰かけて実にたわいもない話を聞かされた。なんでもないことだが、そのおじさんに会うのが楽しみで毎日のように公園に行った。

夏真っ盛りの頃で、必ずところてんの屋台が往来するためこづかいに余裕があれば五十円を出して一緒に食べたものだ。あの時食べたところてんは子供用に合わせてか、そんなにむせるような味付けではなかった。

ある時おじさんは、

「自分は流れ者だから、そのうち熱海を離れる日が来るかもしれない」

そんな一言におれは大地が崩れ落ちるようなショックを受けた。友達など一人いるかいないかっていうおれにとって、おじさんがいなくなることは大事な存在が消えてしまうことを意味していた。いつだっただろう。ある日を境におじさんは公園に来なくなった。おれも、公園から足が遠のいた。もっともその後に、山際のマンションに引っ越しをしてしまったため、あのおじさんとは会おうにも会えなくなったわけだが。

今でもおれはところてんを食べる。だからといっていつもあの味のことを思い出すわけでなく、ただところてんの味わいだけを純粋に舌の上で堪能しているに過ぎない。

あの時の公園は、今はもう更地になっている。


※補記あるいは言い訳


本当に久しぶりの配信となってしまい申し訳ないm(__)m

去年の今頃交通事故に遭ってしまい、ちょいと災難続きだった。正月は正月で餅を食べまくり、過去最高のメタボ体質となってしまった。食欲旺盛なのは結構だが、少しは節制しないとなあ。暑くても食欲が落ちないのは、いいんだか悪いんだか(汗)

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